2009年09月04日
糸数城
ここも、初めて行きます。。。
看板をみつけてみにいってみました
入り口も大きく、ここは中まで車ではいることができました。。。。
そして、入り口の表のほうは
高さは、3メートルぐらいかな・・・ここの広さは凄い、中の方も広く
周りの木が、この場所を表から隠すかのように、大きく育っていました
今は、いいですが、あの頃は大変だったかもしれませんね
的がかくれるのには、木は助かっていたかもしれませんからね
相手側は。。。
ここも、少しは修復したみたいですが、そこまで何処を直したのかが
あまりわからないぐらい
ここの上に登ったら高さが、本当にわかる。。。
場所は、南城市玉城字糸数竹之口原・屋敷原(旧島尻国玉城村)
築城年代ははっきりしていないみたいですが、伝説によると三山県立時代の初期、14世紀頃に糸数城の東方にある玉城城主の玉城按司が その三男を糸数城に派遣したといわれ、この糸数按司によって
この城は築かれたと伝えられている。
そして城を増築中、上間按司が急襲し落城したとの伝説も残っているそうです。。
按司(琉球王朝の時に、王子まではいかないんだけど、次のクラスにいた)
ここからみた、周りの風景
ここからも、周りがよくみえます
観光客の方もみにきてました。、
こうやって 残ってるのが凄いですね
伝説は、残ってはいますが、はっきりとしたことは わからないままですが
いってみてよかったです。
看板をみつけてみにいってみました
入り口も大きく、ここは中まで車ではいることができました。。。。
そして、入り口の表のほうは
高さは、3メートルぐらいかな・・・ここの広さは凄い、中の方も広く
周りの木が、この場所を表から隠すかのように、大きく育っていました
今は、いいですが、あの頃は大変だったかもしれませんね
的がかくれるのには、木は助かっていたかもしれませんからね
相手側は。。。
ここも、少しは修復したみたいですが、そこまで何処を直したのかが
あまりわからないぐらい
ここの上に登ったら高さが、本当にわかる。。。
場所は、南城市玉城字糸数竹之口原・屋敷原(旧島尻国玉城村)
築城年代ははっきりしていないみたいですが、伝説によると三山県立時代の初期、14世紀頃に糸数城の東方にある玉城城主の玉城按司が その三男を糸数城に派遣したといわれ、この糸数按司によって
この城は築かれたと伝えられている。
そして城を増築中、上間按司が急襲し落城したとの伝説も残っているそうです。。
按司(琉球王朝の時に、王子まではいかないんだけど、次のクラスにいた)
ここからみた、周りの風景
ここからも、周りがよくみえます
観光客の方もみにきてました。、
こうやって 残ってるのが凄いですね
伝説は、残ってはいますが、はっきりとしたことは わからないままですが
いってみてよかったです。
Posted by kozabox at 15:41│Comments(0)
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